研究調査ピクトリアル /  醤油産地を巡る
 紀州湯浅では、鎌倉中期に由良興国寺の開山覚心(法燈国師)によって中国南宋から径山寺味噌が伝えられ、 桶の底に溜まった液汁から工夫の末に醬油が造られたと伝えられる。湯浅の主要醬油醸造業者角屋右馬太郎家から1841(天保12)年に分家し、 角屋長兵衛家を立てて醬油醸造業をはじめた加納家の店頭と醬油蔵の裏の風景や醬油蔵内の手掻きによる仕込桶の諸味の攪拌作業の場景を紹介した。
 小豆島で市場向け醬油醸造業がはじまったのは寛政年間(1789~1800)とされており、化政期(1804~1829)に大坂市場に盛んに出荷していた。 明治期の小豆島では、醬油醸造業の改善への取り組みがなされ、資本蓄積の低位性を克服するために株式会社制度の導入がなされ、 醸造規模の拡大がはかられた。1907(明治40)年の小豆郡苗羽村の丸金醬油株式会社(資本金30万円)の設立の際には、 小豆島醤油醸造試験場の新技術を導入し、番醬油を使用しない良質な最上醤油の生産が目指されていた。 丸金醬油の創業当時の醬油蔵と大正期の工場の全景及びむしろ麹による製麹法や樽詰め作業の場景を紹介した。
 以下の写真は、天野雅敏「醬油産地の歴史紀行」(『大塚薬報』第688号)による。なお、小豆島丸金醬油関係のものは、 マルキン醤油株式会社の提供による。(会員・天野雅敏)

和歌山県有田郡湯浅町・1841(天保12)年創業の角屋長兵衛家(加納家)
  左から、手掻きによる仕込桶の諸味の攪拌、醬油蔵の裏にはかつて船で運び出していた運河、店頭風景

香川県小豆郡小豆島町・丸金醬油
  上左から、創業当時に建てられた天然醸造蔵(登録有形文化財)、大正時代の工場の全景
  下左から、大正時代の樽詰め作業、むしろ麹による製麹法